1996年、29歳で引退(廃業)することになった私は、2月の大雪の日に結婚式を挙げ、4月に断髪式を行いました。不安いっぱいの第二の人生のスタートで、その後のシナリオが固まるまでは少し時間が必要でした。
しかしもともと食べたり飲んだりが好きで、力士になってからは巡業で日本全国を旅し美味しい料理を食べ ています。また新弟子時代から強制的にちゃんこ作りに携わりますから、それを生かさない手はないと考えるようになったのです。部屋の先輩だった方がちゃん こ料理屋の主人として成功されているのを間近で見たことも刺激となりました。7月に誕生日を迎え30歳になった私は、10月の『どすこい酒場玉海力』オー プンに向け走り出すこととなりました。
もちろん相撲部屋のちゃんこと商売としてお客様にお出しするちゃんこは別です。ここで転機となったのは、兄弟子・西海さんのありがたいお誘いでし た。3カ月間修業させていただき、仕入れ、食材の下ごしらえ、味付け、接客などなど店の運営に必要なあらゆることを教えてくださったのです。しかも20万 円の月給付き。私はこれまで個人プレーの勝負の世界で生きてきましたが、人と関わり支えられて生きてることを深く深く感じ、大いに感謝しました。
1996年10月、広尾にオープンした『どすこい酒場玉海力』は連日大忙しでした。総勢10名の不慣れなスタッフが動き回ったためお客様にはたくさ んのご迷惑をかけてしまったのですが、ちゃんこ自体がまだ珍しく、ちょうど秋冬という鍋を囲みたい季節と重なったため売上は好調で、この調子ならば借金は すぐに返済できるという状況でした。
しかし年が明け春になると一転。お客様が1日10名しか入らない日も珍しくなくなり、みるみる売上 が立たなくなってきたのです。打開策を見つけるため私はビジネス書を読みあさり、フードコンサルタントに相談し、セミナーに参加しと様々な事にトライしま した。そしてある日、外から店の入口を眺めてあることを思いついたのです。「ここで焼き鳥を焼いてみたらどうだろう?」。
歩道から一段高く、敷居の高い店に見えてしまう欠点を、焼き鳥を焼くパフォーマンスでカバーしようとしたのです。煙りと香りに惹かれて視線を移してくれる方々に、焼き方のスタッフが声をかけ店内にお誘いすることもできます。
このアイデアは見事にヒットし、その後は「夏限定の塩ちゃんこ」の開発にも成功し話題となり、春・夏も安定的にお客様に来ていただけるようになっていったのでした。
さて、メニューや営業時間、価格設定などなど、何もかも修業させたいただいた先輩を真似る形で店を運営してきた私は、前述した春・夏の落ち込みを契 機に『玉海力』らしい独自性を持たせていかなければ継続的運営や成長は難しいと考えるようになりました。中学から相撲界に入り一般的な社会経験が少ない私 は、自分の常識は世の中の非常識なのではと、この頃やっと感じはじめてもいたのです。
例えばお客様に対するサービスです。開店当初は少しでもお叱りを受けると「もう来なくて結構」と塩を撒いたことさえあったのです。月曜を定休日にす る意味も考えたことはありませんでした。私は何のためにこのお店をやっているのか? お客様に楽しんでいただくためではないのか? また必死に働いてくれ ているスタッフが頑張れる職場にしなくてはいけないのではないか?
そう考えられるようになってからは、自分の固定概念にこだわらず、
良いものは取り入れる柔軟さを持とうと決意しました。オープンから4年目に年中無休の営 業に変えると、月曜日にお客様がたくさんいらしてくださいました。現在は定期的に社員を連れて評判のあるお店や酒蔵などを視察する研修を行っていますが、 生きた学習になるお金ならいくらでも使っていいと思っていますし、今後もこのスタイルを変えるつもりはありません。自分がやりたいことだけで突っ走るので はなくお客様のニーズに応えるサービスを形にする。常に勉強・研究して変化していくことで、株式会社玉海力は軌道に乗ってきました。